脱ブラック人生

怒りにまかせて書きなぐる「社畜というブラックな人生からの脱却」をめざすブログ

ある程度、他人に自分がめんどくさい人間だと思われるのは大事って話。

ある程度、他人に自分がめんどくさい人間だと思われるのは大事って話。

親しみを持たれることは良いことだが、舐められることは自分にとって非常に困ることだ。

何を言われても否定せず同意するとか、嫌なことを言われても怒らないとか、そういうタイプの人間は親しみを通り越して舐められてしまうことになる。

例えば、自分がどうも思っていない言動に関して、相手から「それ嫌いだからやめろ」と言われたならもちろんその言動は相手を不快にしているのだからやめるべきだろう。

だがここで終わるとただ舐められるだけになってしまう。

なので自分が相手の言動の中で今まで不快になったことがあるものを相手にも言い返すべきだ。でなければ、相手は自分にも欠点があることに気がつかない。

大げさに言えば、相手は自分が絶対的に正しい正義のポジションであると勘違いしてしまうのだ。

「そんなわけないだろ」と反論する人もいる。でもそれはあくまで上記の話を聞いた上での返答に他ならないし、そう指摘されたことに対する怒りの反論でしかない。

実際、他人にああだこうだ文句を言う人は自分が正しいと思い込んでいる人が多い。

そうやって他人にああだこうだ言うことで自分が正しいことを証明したいのだ。

人を馬鹿にする行為も同じ。そうすることで自分が他人を馬鹿にできる=自分が優れていると証明したいのだ。

ただ、それは深層心理であり実際に心の中でその気持ちが表面化しているわけではないことに注意してほしい。

だから「お前は自分が優れていると思いたいだけなんだよ」と指摘されたところで、たしかにその通りだと正直に思える人は少ない。しかし苛立ちは覚えるだろう。事実を突きつけられると人は苛立ちを覚えるものだ。

話が脱線したが、そういう面倒な人たちに正論は通じないし自分がいい人あり続けても良い方向へは行かないだろう。いい人ってのはそういう劣等感を抱えた面倒な人たちの自尊心を満たす踏み台にしかならないからだ。

よって、目には目を。自分もある程度面倒な人間になるしかない。それがいちばん手っ取り早いのだ。